ドライフラワー
宮本泰子
花は一番美しい時に
ドライフラワーにすると
そのまま枯れないでいる
人も美しい時にドライ人間にすれば
若いまま死なないでいられるだろう
夫や友達は老いて死んで行ったが
ドライ人間は老いる事がなかった
子や孫も自分より歳を重ねて
此の世を去っても
ドライ人間は死ぬ事も出来ない
寂しさに堪えられなくなった
ドライ人間は老いる事
死ぬ事の必要さを悟る
特殊マイク
宮本泰子
かたつむりが人参を囓る音がする
シャブシャブ
蟻の歩く音が聞こえる
ガサガサガサ
特殊マイクを向けると
普段聞こえない音が聞ける
日常これらの音が聞こえたら
騒がしくてたまらないだろう
秋になると木の葉が地面に
叩きつけられる音に驚き
冬 雪の降る音が一晩中耳について
寝付かれないまま夜が明ける
もしも特殊マイクを向けると
その人の痛みや 悲しみの音が
どれ程のものか聴かれれば
分かってあげられるのに
レクイエム
森 公宏
(いったい何から書き始めればいいのだろう?)
君の黄金のように弾んだ声はもう聞けないのだし
あの はにかんだような笑顔も
僕たちはもう
二度と見られない
(何をとっても非の打ちようがなかった…)
クラスの花
いや 校内でも憧れの的だった君は
それでも誰とでも分け隔てなく言葉を交わしたものだ
そして 今
僕たちは何の術もなく君の辞世を見送るのだ
(君はもう居なくなってしまった…)
今後 君が作った添削の答案を見るたびに僕は
君のことに思いを馳せることになる
(いったい彼女が何をしたと言うんだ!)
二十歳を前にした君への難病の宣告
神は愛おしい者から順にお召しになる
どこかの誰かがこの世の性を
しゃれた表現で茶化してたっけ
(笑うしかない 笑うしか…)
こうして
僕らのささやかな希望も
踏みにじられていくような気がするのだ
教え子に先立たれる空しさ…
(君の死は断じて受け入れ難い!)
君がテニスコートを駆けたあの日
もう一度僕たちに
あの日の夢を見させて欲しい
こころ
森 公宏
大きな心
包み込むような広さ
そんな心を持てたらいいね
小さな心
さり気なく奥ゆかしい気配り
そんな心も持てたらいいね
大きな心
小さな心
僕の心はと言えば
どっちつかずの
中くらいの心です
編集後記
平安時代の古今や新古今の和歌集に集められた恋愛をテーマにした和歌の数々は、マスメディアを用いて商業的に過剰に宣伝されて過ぎていることを度外視すれば、現代では『ラブ・ソング』といわれている『歌』そのものだったはずで、当時の貴族の世界では、彼らは身近に使われていた言葉を用いて、自分達の気持ちを『和歌』という伝達手段によって、相手に伝えようとしたはずである。いつの日か、その『ラブ・ソング』の類も、必要以上に権威化されて、一部の者のみの限られた芸能(多分そうなった時は、『芸術』と名を変えているだろうが)となってしまうのだろうか。現在の短歌や俳句、能や狂言といった古来から受け継がれてきたものについて、その芸術や芸能自体の辿ってきた歴史は、決して無価値なものだとは思ってはいない。ただ、そういった歴史のみを唯一の拠り所にした、日本社会特有の無価値な権威主義を私は否定したい。
振り返って、詩はどうだろう。万葉の時代にも長歌や短歌といった漢詩の影響を受けて生まれたと思われるようなものは確かに存在したが、それはとりたてて七五調に拘らなくなった現代詩とは異なるものだと私は認識している。つまり、『現代詩』というジャンルを考えれば、明治時代以降、外国の詩の影響を受けつつ発展してきた比較的形式が自由で新しい分野であるにもかかわらず、厳然とした『詩壇』といったものがすでに存在して、ある程度権威を得た連中が自分たちの立場を保全するために、必要以上に難解なものを作り、「これが詩でござい!」と吹聴しまくり、連中の企画に合わないものを排斥し、詩が日本語を愛するすべての人々に広がるのを阻害している。権威に縋らなければ、言いたいこともまともに言えないような脳味噌の干涸らびた権威主義者を私は詩人であるとは思わない。元来、詩というものはボヘミアンが、街中を徘徊しながら吟遊していたものが起源のひとつであり、単なる名文家が詩人なのではなく、詩のスピリッツを持ち、それを自分自身の言葉で語りかけることができる者こそが詩人だと思うからだ。自分の得た感動を多くの者に伝えるのに適しているのは、取り立てて気の利いた言葉などではなく、ましてや難解な言葉でもないはずだ。
「一人の者が使いこなせる色数は限られている」と言って、生涯数色の絵の具しか使わずに自分の感動を表現した画家も居た。そういう人を私は達人だと思うし、最も効果的に感動を表現することができた芸術家だと思う。いろんなものを味わった後に、刺激の強いものでなければ、他と差異をつけられないというような強迫観念を抱く気持ちも分からなくはないが、詩にしても、もっと平易な言葉だけで十分感動を伝えられるはずである。今後、日本の詩の世界にも『ルネッサンス』が起こることを、私は期待している。 (森 公宏)