夏の雲
             宮本泰子

真っ白い雲が青い空に
気持ち良さそうに寝そべっている
あれは極楽へ行ったおばあの姿やろう

おばあは大らかで豪快
若後家で苦労したけれど
四人の子を立派に育て
自分に正直に九十五歳迄生きた

くよくよしないけれど
おばあも哀しい時があるだろう
たまには涙を流す事もある

真っ青な空に浮かぶ夏の雲を見ると
おばあを思い元気が湧いてくる





   動く歩道
             宮本泰子

折角設えてくれた動く歩道に乗って
じっとしていれば楽に行けるのに
なぜか皆歩く
みんなに遅れまいと私も歩く

とぎれとぎれの不安定な歩道に乗って
吸い込まれそうになっては降りる
降りては又乗る
一分を争う程
急いでいるわけでもないのに

羽田空港の高知行き乗り場は
一番奥の十九番ゲート

私の人生の道程に
動く歩道があったら
疲れた時には乗れたのに





   プライド
           森 公宏

何もできないまま
時間だけが過ぎ去っていく日々

(やることが多すぎて
何も手が着かないままなのだ)

いや何もしていない訳ではない
今の僕はさなぎだ

表向きは変わりが無いように見えても
内側では新たなステージのための
静かな準備が進んでいる



   
           森 公宏


時が止まったかのように
都会の中にも
しばしの静寂が訪れる

眠らない街

働き者の都市が束の間の休息を取ろうとする時
僕らの心にも安らぎが訪れ
やがて
睡魔が体を支配する

眠れ静かな街よ

寛容や欺瞞
人々の様々な欲望を
すべて包み込んで

おやすみ都会

もうすぐおしゃべりな鳥たちが
太陽を連れてやってくる





   資本主義社会
           森 公宏

人間の欲望って果てしない
僕は金銭的にはそんなに恵まれている訳ではないけど
今のところそんなに不満があるという訳でもない
でも…
金に無頓着なら心がきれいだというのなら
僕についてはきれいな心ではあり得ない
そんな僕でも
自分にとって一番大切なものが
決してお金なんかじゃないということは
現在十分知っているつもりだ



   進歩?
           森 公宏

最近自分のことについて考えることが少なくなった
これが悩むことが少なくなった原因かもしれない

他人に対しても自分に対しても
比較的寛大になり
周りからは
「丸くなったね」と言われる

良いことだよね?

自分にとっても
他人にとっても…



編集後記(コピーについて)
 パソコン通信の基本は情報伝達である。つまり情報のコピーであり、アプリケーション等のアップロードやダウンロードも、純粋な情報のやりとりに過ぎない。情報をもらった側は、その情報を元に、元のアプリケーション等と寸分違わぬものをメモリーやハードディスク上に再構築できる。パソコン上のアプリケーションの構築では、実質的な原料がいらないから、完璧なコピーが実現でき、問題無くダウンロードされたプログラムは実行できるのである。
 コピー機の原理も、紙面の情報をスキャンして、別の紙面に別のトナーやインクでその情報を再現することで、紙やインクがコピー元と同じであれば、ほぼ同じものがコピーの結果として出来上がる。
 コピー機がもっと進化したらどうだろう。紙質やインクの成分までスキャンできて、その成分を再生できるようになったとすれば、原料さえそろえてやれば、完璧な偽札もコピー機で作成できることになる。ただ、そのような技術が実現すれば、コピーされる側とコピーが、全く見分けがつかない(おそらくアイソトープの半減期による年代測定によっても誤差の域を出ない)ことになり、本物とコピー(クローン?)の差は、認識できないことになるだろう。
 コピー技術がさらに進化したらどうだろう。デンプンさえ人工的には合成できない現時点を考えれば、『夢のまた夢』ということになるだろうが、原子やそのエネルギー状態までもスキャンでき、再構築できるような技術が確立された場合は、羊や牛のDNAを介しての受精卵によるクローンどころではない。原理的には、その生命体と全く同じ生命体が、クローンとしてコピーできることになるはずである。
 素粒子レベルというもう一段階上のレベルのコピーが実現できるとすれば、今まで不可能と思われていた錬金術さえ実現できるだろう。じゃあ、そのときに生命体のコピーは?原子核や電子のエネルギーレベルまで忠実にスキャンでき、再現できるコピー機が出来たならば、それさえも可能なはずである。そうなったときに、本物と偽物の差異はどういったところでつけるのか?ちょっと考えると、自分という存在のアイデンティティーが、『コピー元である自分』側に保持されるか否かがはなはだ疑問になり、『自分と全く同じものが容易にコピーできるなら、自分が抹殺されても、自分のコピーが残っていれば、自分自身が一個だけの生命体として存在していたときと、全く違いはないのではないか』と考えてしまう。本物を抹殺して、その情報を別の場所に再現すれば、情報伝達による瞬間移動が出来るはずなのである。『どこかが間違っていて欲しい』といった私自身の個人的な思いは別にして…。   (森 公宏)